永遠ではない

おれは地下鉄で通勤しているが、家と地下鉄駅間のルートは行きと帰りで違う。

帰りに通る民家の庭先には大きな桜の木が生えていた。
花咲く時期には近くの街灯がちょうどうまい具合に桜をライトアップするようで、木の下で撮影している人をよく見かけたものだ。
ところが昨年雪降る前にそれは突然切られてしまった。
家を解体するのであろう。
住人も退去したようであった。

それからは帰りにその切り株を見る度悲しい気持ちになった。
いつしか目をそらすようにしてそこを通るようになっていた。

数日前よりその家の解体が始まった。土を掘り起こすのと同時に切り株まで掘り起こし、きれいさっぱり無くなってしまった。

今日の帰り道、おれが昔住んでいた家のすみには大きな白樺の木があった事を思い出したのだ。
その白樺,家の敷地内に生えていたわけではなかったようで、道路舗装工事の際に撤去されてしまう。
親父は「タクシーで帰ったとき、あの白樺の木の所で止めてください。と言えるからよい目印になるんだ。」とよく言っていたものだ。
親父は木が切られる前日、白樺の木に日本酒をかけていたな。
きっと最期のお別れのつもりだったのであろう。
花の命、木の命、命は永遠ではない。
当たり前の事だ。

最近、落ちのない話が多いかもしれない。
それで良いのだ。

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