今はもうだれも

琴似工業高校、今はどうか分からないが、おれのいたころは真面目でない生徒が多かった。

琴似バスターミナルで同じバスに乗ろうとしていた一般人ともめる。
バスの一番後ろの席に座ったやつらはたばこ吸いだす。
学校のトイレでまたたばこ。
当時はくみ取り式だったから、吸い殻をそのままトイレに捨てると中に溜まったガスに引火して爆発するぞ!
本当か嘘か分からない都市伝説。
地下鉄駅トイレでも喫煙していたな。
琴工生(キンコウセイと読む。)は若いころから専売公社に貢献していた。

当時はツッパリ全盛で生徒の半分はリーゼントにパーマ。
おれは数少ない長髪組。
ツッパリ組はみんなカバンがペッチャンコだったな。
教科書どうしているんだ?とたずねると、教室内にあった木製クローゼットの底をはがして隠しているんだと教えてくれた。

教室内でも喫煙していた。
冬は喫煙後、ストーブの蒸発皿にバニラエッセンスを垂らして臭い消しにしていた。
悪いことには知恵がまわる琴工生。
おれは履かなかったが、ツッパリ組が冬に履いていた特長の長靴、カッコよかったな。

今の高校生、だれもそんなことはしないのだろうな。

なにか嫌なことでも・・

小学生高学年のころ家族と街に出かけたときの事だ。
買い物を終え三越のエスカレーターを降りてくる。
エスカレーターが3階から2階にさしかかった時に、1階のフロアーから大音量で音楽(洋楽)が聴こえてきた。
当時のデパートにはジュークボックスが設置されていることが多かった。
その曲、一度終わったのだけれど、すぐまたリピートで聴こえてきたよ。

数年後に分かったのだが、その曲はポールのJET。
1階でエスカレーターを降り、フロアーを歩いていたところまたまたJET。
女子社員がジュークボックスの前にいたのが見えたから、先程からリピートでかけていたのは彼女だったのだろう。

よほどのポールフアン?
それとも職場でなにか嫌なことでもあったのだろうか・・。
今調べたところJETのリリースは74年2月だから、おれが小学校卒業間近の時期の出来事。
おれも出来ることなら職場で大音量で好きな曲を流したいものだ。

エセライダー

ホンダのCB50、おれが最初に乗ったバイクだ。
札大に入ってからの事だ。
そのあとスズキGN50、就職して給料をもらうようになってからいきなりカワサキGPZ400Fへ乗り代えた。

だけどバイクは結婚する前にやめてしまった。
彼女(今のカミサン)とドライブするなら2輪より4輪の方が楽しいだろうと思ったからだ。
だからおれは真のライダーではない。

50CCのバイク、何キロ出ただろう・・、どんなにがんばっても80キロくらいだっただろうか。
スピードは出なかったが50で稚内までツーリングにも行った。
親父は真剣にやめさせようとしたな。

普通のライダーなら嫌がるであろう雨の中の走行がおれは好きだった。
やはり変わり者だね。
グローブはすぐにべちゃべちゃ、安い薄っぺらいカッパの袖や襟からはどんどん雨水が入ってくる。
ヘルメットのシールドは雲って視界は最悪。
信号待ちに雨でぬれたエンジンからはもんもんと蒸気が立ちこめる。

最近、また乗りたいなと思うことがある度に口にだすのだが、その度にカミサンに反対される。
確かに鈍いオヤジには、クラッチや変速ギヤの操作もおぼつかないであろう。
やめておいたほうが良さそうだ。

学校祭

琴工の学校祭、派手さが無くてショボかったな。
なんてったって校舎がボロボロだったからね。

3年生、最後の学祭の時の事だ。
クラスにハードロック好きのやつが3人いた。
ギター2人とベース。
3人とも澄川に住んでいた。
当時澄川にTさんってハードロック系のドラマーが居て、かなり有名だったそうだよ。
澄川住人はハードロック好き?
なにか地域的に特性、要因があるのかね・・。

学祭の出し物は、その3人がバンドを組んでライブハウスをやろうということになった。
ギター2人、タカダくんとイワサワくん。
ベースはサイトウくん。
3人とも凄く上手かったよ。
ところがドラムが居ない・・。

ちょうどタイミング良く「1年に凄いドラマーが居る!」っていう情報が入り、異例の参加となった。
その1年生ドラマー、のちの超有名ハードロックバンドのドラマーだ。

セットリストはパープル、レインボー、バウワウの曲が多かった。
思い出した。フーバージョンのサマータイムブルースをやったな。
おれは、あいつらのおかげでフーを知ったようなものだ。

そのドラマーくん、キルザキングをやろう!って何回も3人に懇願したのだが、結局1回もリハやらなかったな。
あれだけ上手いやつらだったのに、キルザキングは難しかった?
いや今考えれば、歌が難しかったのかもって気がする。
その学祭バンド、残念な事にボーカル専門は居なかったのだ。
ギターの2人が弾きながら歌っていたのだけれど、キルザキング、キー高そうだものね。

人形とロボット

おれはゲームをしない。
いわゆる現代のゲームに近いゲームでは、ムスメが小学生のころ付き合いでファミリーコンピュータという機種で少し遊んだくらいだ。

ゲームセンターにもほとんど行かなかった。
そういえば昔、テレビ搭の上にゲームコーナーがあった。
覚えているのはゲームではなく、おみくじだ。
お金を入れると神社のやぐらのようなところまで人形(これがボロボロの人形で不気味だった。)が歩いて行き、開いたやぐらからおみくじを両手に乗せて持ってくるのだ。

家の近くでは、まるやま市場の2階にゲームコーナーがあった。
そこでは車のプラモみたいのがベルトコンベアに描かれた道路を走る。
バンドル(本物のバンドルだったと思う。)を操作して道路上の出っ張りをうまく通過するよう走らせるのだった。
出っ張り(接点)をうまく通過すると「チーン!チーン!」と鐘が鳴り点数が加算される。
シンプル過ぎるゲームだった。

パチンコもほとんどやらなかったよ。
「若いころ遊んでおかないと年取ってから狂うぞ!」って言われたけど、そちらの方面は今現在大丈夫なようだ。

ゲームにつぎ込むお金。
今でももったいないと思う。
おれは単にケチなだけだ。とも思う。

野球人形の飛雄馬や野球ロボットのオズマ。
彼らもゲームに興じる事は決してなかったであろうと思う。

ゆるやか

ウッちゃんがキャロル時代使用のストラトは三越で購入したそうだ。
なにかの本で読んだことがある。

札幌の三越でも昔、エレキギターを販売していた。
ギターを弾いたこともなかった小学生のころ、デザイン的にカッコいいな!と思ったのはシャープ5モデルとSGコピーモデル。
もちろん当時はモデル名など知るよしもなく、ギターを弾くようになって少ししてから「ああ、あの時のギターだ!」とカタログを見て知った次第だ。

三越には楽器のほかにレコードも販売していた。
地方の修学旅行生がレコード売場でレコードジャケットを見てキャーキャー騒いでいたのを偶然見かけたことがある。
レコードジャケットなのに、なにが嬉しいのだ・・。
おれは冷ややかな子供だった。

丸井でもレコードを販売していた。
浅田美代子のレコードジャケットが見たかったのだが、恥ずかしくて見れなかった記憶がある。
修学旅行生の事は言えないな・・。

誰も覚えていないようだが、丸井の地下通路には細長いショウウィンドウがあり、その中をベルトコンベアに固定された人形が永遠に往復していた。
ぜひ復活して欲しい。

パルコには山野楽器があり、ウィンドウにスターキャスターが飾られていた。
なぜスターキャスターだったのだろう・・。

長崎屋(今のジュンク堂)の地下には、やきそば屋、ピヴォ(昔のダイエー)にはオーディオ専門売場があった。

丸井近く不二家のウィンドウではいつもチキンが回っており、いつもいい匂いが漂っていた。

現在よりは確実に不便な時代だったと思うけれど、時間の流れがゆるやかで、おれにはちょうど良かったのでは・・。

大洋ホエールズ

プロ野球は巨人が好きだった。
おれが子供のころはテレビのナイター中継は21時まで。
もちろん巨人戦のみ。
(NHKではたまに巨人戦以外も放送されていた。)

時間でテレビ中継が終了したあとはラジオを聴いた。
大量得点差で巨人の勝利が確実と思われる試合でも必ず聴いていた。

そのころのプロ野球、翌日のテレビでは動画は放送されず、結果だけアナウンサーが淡々と話して終わりだった。
毎日放送される佐々木信也のプロ野球ニュースが始まった時は、なんて画期的な番組だ!と感動したものだ。
それより前から日曜の朝にミユキ野球教室という番組が放送されていたけど、週一だったから。

プロ野球に興味がなくなったのは、いつ頃からだろう。
時期も理由もはっきりとした記憶がない。
きっとおれはV9戦士が好きだったのだと思う。
土井、黒江、国松、高橋一三・・。
V9戦士が徐々に引退するとともに興味が薄れていったのだろう。

今「プロ野球のチーム、どこを応援している?」と尋ねられたら日ハムと答えると思う。
いちおう日ハム。
世間体を考えての事だ。
嫌なオヤジになったものだ・・。
熱狂的なファンの方々には大変申し訳ないと思っている。

思い出した。
大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)。
帽子の筆記体の「W」。
ユニフォームそでに付いている○で囲んだ「は」の字。
今は大変モダンだと思う。

土曜の午後

今の小中高校は土曜授業があるのだろうか?
もちろんおれの時代は土曜の午前は学校。
昼ごはんは家で食べていた。
家の昼ごはん、圧倒的に焼きそばが多かった。
藤山寛美のテレビを観ながら食べていた。

その時代、土曜の午後観たテレビで強烈に覚えているのは映画イージーライダーとアリ対猪木戦だ。
イージーライダー、正直つまらなかった。
ラストシーン。
バイク乗っているピーターフォンダが車で通りかかった農家のオヤジにライフルで撃たれる。
「なぜ?!!」の記憶が強烈だった。

アリ対猪木戦。
あとにも先にも、あれだけイライラした格闘技の試合を観たことはないかもしれない。
イライラの強烈な記憶。
そのほかに土曜の夕方からはサンダーバードが放送されていた。
外で遊んでいても必ずその時間には家に戻ったものだった。

土曜の昼は焼きそば、そして日曜の昼は、そうめんが多かった。
その頃食べ過ぎたせいか今そうめんは進んで食べる気にはならない。
昔、いいだけ食べた(食べさせられた)もの、今は出されれば食べる。そのくらいの感覚。
誰でもそうであろう。

そうめんのほかに進んで食べようとしないものは、みかん、いちご、きゅうりとワカメの酢の物、大根の味噌汁、カレイの煮付け等。
基本的に好き嫌いのない人間に育ててくれた親に感謝する。

ニラの木陰にはずむ声

ジンギスカンを食べる時は部屋中に新聞紙を敷いていた。

半円形のジンギスカン鍋、異常なほどに油がバチバチ跳ねる。
おれは異常なほどにそのバチバチ油を恐がっていた。
そんなおれを見ておやじは困った顔をしていたのを覚えている。
あんなに恐がっていたのに、いつからか全くなんでもなくなった。
不思議なものだ。

ジンギスカンの肉は円形。
昔はこれしかなかった。
肉屋さんでは、肉を購入時に必ず白身の脂の塊を付けてくれるのだが、この脂を焼いて食べるのがたまらく好きだった。
今なら絶対食べようと思わないだろう。
ベルのタレにすりおろしたすニンニクをどっさり入れる。
そのタレを箸で白いご飯にペタペタして味を付けてから食べる。
またはおにぎりを器のタレに少し付けて食べる。

昔の家は換気扇など無い家だったので、開けた窓に扇風機を向けて煙を外に出していた。

ジンギスカンの野菜、おれはニラが好きだ。
そのほかの野菜はなんでも良い。
ニラさえあればそれだけでも良いのだ。

ふれあい

中村雅俊の大ヒット曲。
おれが中1の時だった。
おなじクラス、1年3組のハナダくんが休み時間に訳もなく口ずさんでいたな。

中村雅俊の役柄、男らしくて、ぶっきらぼう、そんな役が多かったと思っている。
とは言っても中村雅俊のすべてのドラマを観たわけではなく、偏見かもしれないが・・。

これまでとちょっと違う役柄だなと思ったのが「俺たちの勲章」松田優作と共演したドラマだ。
あの役は好きだったな。
なんていったって役の名前が五十嵐だったし、性格がオドオドしていて優柔不断。
なんとなく自分に通じるものがあったからかもしれない。
ドラマで使われていた「いつか街で会ったなら」も大好きな曲だ。
確か作曲は吉田拓郎だったかな。
隠れた名曲だと思う。
トランザムのテーマ曲も良かった。
当然シングルは購入したよ。