プロじゃあないんだから!

今までいろんなバンドでスタジオ入ったけど、スタジオでこれを多発する人がいるとゲンナリする。
確かにおれはプロじゃあない。
弁当出たライブはあったかな(笑)

プロとかアマとか別にして、こういう風にまとめたいな〜出来たら良いな〜って思ってスタジオ入っているときにこの言葉はいけない。

おれは何でもテキトー(笑)だけど、今までバンドで一度もこんなことは思ったことないし、言ったこともないよ。

最近参加しているバンドでは「とにかく楽しく!」
演奏している人達が楽しくないと観ている人も楽しくないと思うから。
だけど楽しいと思って演奏出来るようになるにはそれなりの練習が必要。
そこらへんはおれは意識しているつもりだが・・。
つもりじゃあダメか!(爆笑)

おれは今までいろんな楽器でいろんなバンドに参加させてもらったけど、どのパートでも何一つ秀でるものはない。
名前と違うね(爆笑)
そんな感じなので、せめてバンドのムードを作るのに少しでも力になれれば良いな〜と思っているよ。

中学三年の時のこと

理科の時間だけ出席番号順の四人一組でグループを組まされた。

おれは同席のやつらと合わなかった。
当時のおれは今の数十倍?くらい自己主張が出来なかったな。
そんなおれをやつらも気に入らなかったのだと思う。
どういういきさつかもう覚えていないが、そのうちの一人がおれの指をシャープペンで突っついた。
突っついたのはせいぜい二回くらいだったかな。
だけどシャープだからな。痛かったよ!
今でもそのシャープの芯の黒い点のようなあとは指に残っている。

今から三十年くらい前にその中三時代の同窓会があって出席した。
その突っついたやつに「まだあと残っているさ〜覚えている?」って軽く聞いたら、そいつは凄く困った顔していたな。
やられたほうは忘れないんだぜ!

おれは中学の時はいじられやすいというか、いじめられやすいキャラだったのだろう。
だから中学の時の事はあまり覚えていないんだ。
高校は良かったな。
琴似工業高校、いい学校(笑)
しかしこんなこと書いているおれこそ、ケツの穴の小さい野郎だと思う(爆笑)

先生をばかにしたな!

小学生五年の時、担任の先生に往復ビンタされたことがある。

その担任は音楽が専門だったのだろう。
市民会館や厚生年金で行われる大会前は一週間普通の授業はしないで、ひたすら音楽(主にリコーダー)の練習。
今だったら大問題になっただろうね。

合唱の練習も厳しかったな。
だけど今おれがコーラス、ハモりが好きなのはその先生のおかげだと思っているよ。

そんな授業進行なので当然しわ寄せがくる。
ワークブックを決められたページまで出来たものから先生に持っていく。

ある日、おれは丸一日ワークブックを何もしない事があった。
先生が会議で一日不在だった時だと思う。
翌日ワークブックを提出して全く進んでいないのを見た先生は「五十嵐はなぜ決められた事をやらんのだ!先生をばかにしたな!」と大激怒。
親以外に叩かれたのはその時が始めてだった。
日にちは覚えていないが、金曜日だったよ。
家に帰ったら「帰ってきたウルトラマン」が放送されていたからね。
それからしばらくの間、金曜日がくるのが嫌だった。

男はつらいよ現代はつらいよ

金曜の事
業務で解析不明なところがあったので、隣の席の上司(女性)にたずねた。
彼女は少し考えたところ解析出来ておれに丁寧に教えてくれた。
おれ「よく分かりました。ありがとうございます!」
彼女「高いよ!」
おれ「体で払います!」
彼女「いらないから!」
彼女は年上だし付き合い長いから笑って終わったんだけど、信頼関係がなかったら今の時代、完全セクハラ発言だな。

今日ワンコの散歩しながら考えたのだけれど。
SNSが発達してから文章表現は上手くなった?その反面、話して何かを伝えるのは下手になった?
会社では「メールで周知しましたよね!」これが実に多い。
あつ!話が少しづれた(笑)

話しによるコミュニケーションが稀薄になってきた?
電話で話す。直接話す。
おれが聞いたバンド関連の話しの中で「会って話せばすぐ解決するのにな〜」って思った内容もある。
変にメールでやりあうからこじれたんだな。
あの話しは残念でたまらない・・。
これ以上は書かないよ。
特定されちゃうから。

迷惑な子供

小学生になるかならないかくらいの時の事だ。
親父と車で茨戸公園に釣りにきた。
確か公園全体に小川が流れていたと記憶している。
しかし公園に入って釣りを始める事もなく、おれは足を滑らせ小川に落ちた。
頭まで水に浸かったよ。
さすがに親父も怒ったのか、帰りは素っ裸で車(パブリカ)の後部座席に立ち乗りさせられた。
日曜が、楽しみにしていた釣りが台無しだ。

怖がる子供
おれはハチが苦手だが、クモも苦手だ。
今の前の前の家の時、クモが必ずいる物置があった。
物置といっても台所と繋がっており、家と離れている物置ではなかったのだが。
親父に言われてその物置に何かを取りに行くことが度々あったのだが、その都度「クモがいたんだ!」って息をきらせて戻ってきた。

小4くらいの時だったと思う。
物置に入ったとたんクモを見つけたものだから、頼まれた物を探しもせず「クモがいたんだ!」「探さなかった・・」と居間に戻ってきた。
怒った親父に無理矢理物置に戻されたよ。
いや、あれは戻されたと言うよりも、放り込まれたと言うのが正しい言い方だろう。
おれもその時は、泣きながらだけどかなり抵抗して親父のユカタが破れたのを覚えているよ。
親父はおれにもっと強くなってもらいたかったのだろうけど・・。

バカ正直な高校生といきなり不良の高校生

おれは琴似工業高校電子科出身だ。
1年の時、たまたままぐれで成績が良かったので2年で学級委員になった。
琴似工業の成績優秀なんて全然たかが知れているという事を誤解のないよう付け加えておく。

2年生と言えば修学旅行だ。
気の合った同士でグループを組みグループ行動。
おれは当然オタクチーム。

旅行初日の事だ。
奈良の旅館の部屋に着いたとたん、秋ひとみ好きのタケシがいきなりモヤ(たばこ)を吸いだした。
おいおい、もう吸うのかよ・・。
運悪く担任に現行犯で見つかり、タケシはげんこつで頬を殴られた。
まだそれ(げんこつ頬殴り)が許される時代だったな。
担任に全員(6人)正座させられ「○○も吸うつもりだったのか?」と一人一人質問された。
当然みんなはノー。
おれが最後に聞かれた。
「吸っていたかもしれません・・。」
その当時のおれはバカがつくほど正直だったな。
いや、学級委員のプライドがそう言わせた?

ちなみに殴られたタケシ、普段は髪の毛下ろしていたのに、修学旅行の集合場所の札駅にリーゼント(のつもり)で現れた。
いきなり不良のつもりかよ・・
カッコ悪かったよ。
どう見てもオールバックの気持ち悪い高校生。
修学旅行の浮かれた雰囲気。
調子にのったんだね。
タケシ、今どうしているかな・・。

学生帽はいったい何処へいった

学生帽、しばらく見ていない。
現在学生帽姿を見れるのは日曜午後6時半からの磯野カツオくらいだろう。

おれは中学3年まで被っていたよ。
中学のころの記憶はあまりないが、休日の外出時も被っていた。
寒い時期は、それプラス黒のステンカラーコート(当時は入学時に強制的に買わされた)。
ダサダサだな。
その格好で野口五郎と桜田淳子の2本立て映画をひとりで観に行った。
街中まである映画館に歩いて行ったよ。
これは覚えている。
中1の春休みだったと思う。

そういえばそのころアディダスのウインドブレーカーが流行ったな。
袖に3本線が入っていて、フードを丸めて襟にたためるやつだ。
おれも着ていたよ。
だけどリーガルの運動靴は買ってもらえなかったな。

前も書いたけど、中学の時(正確には中2の後半から)は良い思い出がない。
だけど中3の後半かな、クラスで気の会う数人と行動をともにする事ができ、少しは楽しかった。
その連中とは、ここには書けないような悪いこともしたけれどね・・。

ありがたみ

2000年12月から2003年12月までおれは単身赴任で東京に勤務していた。
とは言っても住まい(寮)は千葉県船橋市。
通勤はJR総武線快速で津田沼〜東京、山手線で東京〜有楽町、それからは徒歩15分。
通勤は1時間半くらいかかったが、それでもまだ短いほうだそうだ。

今日、USAのリハのあと残業で普通の業務して疲れて地下鉄乗っていて思い出したのだ。
あの頃から比べると・・。
全てが許されるね。

単身時代はパソコンも無し、文字しか見えない携帯のみ。
車も無い。
二重かまどなのでお金も無い。
最悪の3年。
唯一の楽しみがバンドだったな。

あの頃の事を思えば大抵の事は我慢できるよ。

バンドの無い休日は自転車で遠くまで出かけた。
だけど普通の自転車、限界がある。
千葉県佐倉市が一番の遠乗りだった。
千葉マリンスタジアムへも。
あまり興味の無いロッテ戦を観たな。

それから、自転車ではないけれど御茶ノ水はよく行った。
たくさんの楽器屋めぐり、楽しかったな。
神保町の古本屋街も。

ちょっと辛かったけれど、単身赴任、良い経験だった。
家族のありがたみというのが分かるよ。

心の貧しい男だわ…私

おれは心が貧しいと思っている。
これは家系だ。
だからしょうがない。

そういえば、心の貧しい・・っていう歌詞の曲があったな。
確か山口百恵・・。
曲名が思い出せなかったので、Googleで検索したところ、すぐ見つかった。
山口百恵「愛の嵐」

ついでに動画も観た。
「ストーム、ストーム・・」を繰り返すところ当時カッコ悪いな・・って思っていたけど、やはりそう感じたよ。

この曲、阿木&宇崎コンビの作品なのだが、夫婦で曲を作るってどんなだろう。
おれならたとえ夫婦でも、いや夫婦だからこそ作品の作成中に口を出されるのは嫌だな。
きっと完全に別作業で進行するのだと思う。
日常生活時、もちろん食事の時も仕事の話しは一切無し。
そう思いたい。

心を貧しくする魔法の言葉。
「ざまあみろ! 」
「いい気味だ!」
「おれだけ貧乏クジひいてたまるか!」等
実際口に出して言うのは難しいだろう。
職場で誰かがミスった時にこんな言葉を発したものなら、たちまち仲間はずれになってしまうだろう。
だから心の中で叫ぶ。
貧しい心の中で貧しくなる魔法の言葉を叫ぶのだ。
そして心の中で叫ぶと同時に口からは思ってもいない反対の言葉「ドンマイ、ドンマイ!気にするなよ!」なんて言ってみる。
腹黒になれること請け合いだ。

USAを踊った

今日は職場のキックオフというイベントだった。
当初参加予定だった本社(東京)のやつらは「昨日の地震で大変な時に迷惑をかけてはいけないから・・。」という理由で来なかった。
めずらしく気が効くじゃねえか!

本番直前「思いきってやろうぜ!」って手を合わせ気合い入れ踊ってきたよ。
おれはBメロは旗降って踊っていた。
フロントの若いやつらは30代、Bメロをかなり頑張って踊っていたな。
リハの時から若いやつらの熱意が伝わってきたね。
おれは彼らの指示にハイハイって言って従ったよ。
こういう時(おれは忙しくて家でダンスの練習もできなかった・・。)いくらおれが先輩でも後輩の指示に従ったほうが良い。
そうしなければ失礼だ。
USA、良い思い出になった。

今日は缶チューハイ5本飲んでごきけんになったが、若いお姉ちゃん達に「ユー、可愛いね!」のセクハラ発言も抑えた。
こうやって年をとっていく・・。

だけど年上の元お嬢さん達には「お姫さま抱っこをさせて!」って言ったら凄く受けていた。
数年前、モモちゃんをお姫さま抱っこしてからしていないので、今度ライブの時に誰かをお姫さま抱っこするつもり。
女子のみなさまは要注意だ。