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あたりまえのこと
おれはタバコを止めようと思ったことがない。 だから今でも吸っている。 最近はゴールデンバットシガー(270円)を会社で吸い、家ではグローを吸っている。
痩せようとしたことは何回もある。 カミサンと結婚する前、カミサンに「もう少し痩せても良いよ・・。」くらいの事を言われたのだけれど、極端なおれはミドル級(75sくらい)からバンタム級(54sくらい)まで落とした。 極端なのは家系だからしょうがない。 それ以来何回か痩せようと思うたび、落とす事に成功した。 なぜか今は痩せようなんて全く思わなくなった。
あたりまえのことだが、○○できるようになりたい。と思わない限りスタートは出来ない。 何も始まらない。 あたりまえのことを書いてしまった。
話しは変わるが、先程までラインでバンドメンバーとやり取りしていた。 ライブの日程等の話だが、おれがあることを書いたところ会話が突然途絶える。 どうやらおれは会話を中断させる名人のようだ。 しばらくして再び会話再開、一件落着したのでひと安心だ。 メール、ライン等のSNSではついキツい言葉になりがちだから、おれは十分気を付けたほうが良さそうだ。 おれには向いていないと1回やめたFBだが、しばらくやめるつもりはない。 オヤジは開き直ると強くなるのだ。
おれとぼく
最近はふっ切れたのか、もう捨てるものは何もないと悟ったのか、職場でも自分の事は「おれ」と言っている。 上司にも同様だ。 ほんとうは職場では「わたし」を使うべきなのだが・・。 そして上司に「おれ」はもちろんNG。
その昔、両親のどちらに言われたのか記憶にないが「ぼくって言いなさい!」と。 それをずつと引きずっていたのか、中学くらいまでは「おれ」と「ぼく」を半分ずつ使っていたような記憶がある。
中学3年の時、同じクラスにサイノくんという男子がいた。 小柄で賢く、はにかみ屋。 可愛いい顔だったな。 彼はいつも自分の事を「ぼく」と言っていた。 性格が歪んでいるおれは、ある日サイノくんに向かってわざと「ぼく」を多用して会話をしてみた。 サイノくん、さすがにカチンときたのか、いきなり「おれ」って言い出したよ。
おれは90近い母親には最近「ぼく」を常に使い、カミサンとムスメには面と向かって話すときは「わたし」を使う。 おれはなんて面倒くさい男だ!
そういえば女子は自分の名前を「わたし」代わりに使えるけれど、男子は使えない。使っていない。 日本語は便利でもあるが面倒でもある。
間に合わない
テイクオフに参加していたときの事だ。 夕張の屋外で行われたライブ、めずらしくカミサンとワンコ連れでライブ会場に車で向かった。 途中ワンコのトイレで何回か車を停めたものだからライブ開始数分前に到着。 数分前に会場入りはいけない。 今更だがメンバーや主催者の皆さまにお詫びしたい。
演奏後、帰路につく前ライブ会場近くでカレーを食べる。 その後高速に乗ったのだが、カレーの刺激と車の振動で腸の運動が活発になったのだろう。 間もなく大きいほうを催してきた。
残念なことに行けども行けどもトイレのあるパーキングは現れなかった。 30分ほど耐えただろうか、もう運転もままならなくなってきた。 「間に合わない!」 とうとう車を路肩に停め(高速はパーキング以外駐停車禁止)草むらに駆け込んだ。 何十年ぶりの野グソだった。 そんなことがあったものだから、テイクオフを抜けるまでの少しの間「野グソドラマーの五十嵐です。」とMCしていた。
野グソもそうだが、このライブはテイクオフキーボードのヤマザキさんが、テイクオフ卒業宣言をしたライブだったこともあり忘れられないライブだ。
向陵をナメるなよ!
おれの大嫌いな時代、中2の時の事だ。 向陵中学に転校して行く奴がいた。 転校前の恒例の寄せ書き。 おれのところに回ってきた寄せ書き、目に飛び込んできたのは「向陵をナメるなよ!」というコメントだった。 それを書いたのは向陵から啓明に転校してきた奴だった。 そいつはたぶん良かれと思って書いたのであろうが、ナメるなよ!か・・。 もっと良い言葉が見つからなかったのであろうか・・。 まあ中学生だからしょうがないか。
そしてナメるなよ!よりひどいコメントを思い出した。 それは文字ではない。
HBCラジオ、ミスターデーブマンのベストテン北海道。 おれはリクエストの電話をたまにかけていたのだが、いつかけてもつながらなかった。 通算何回目であったのだろうか、ついに電話がつながった。 リクエスト曲をオペレーターに伝えたあとに一言コメントを言う。 そのコメントは放送される。 おれは舞い上がってしまったのか一言「デーブマン死んでください・・。」 それは無いな・・。ひどすぎる。 心が貧しすぎる。 「どうしてそんなこと言うの!」オペレーターに怒られたよ。 ミスターデーブマンさん、その節は大変失礼いたしました。 どうかお許しください。
ラジカセ
小学6年の時の事だ。 欲しいと思う候補に全く無かったラジカセ(AIWA製品)がおれに与えられた。 たぶん親父が欲しかったのだろう。
おれはラジオに流れる歌謡曲をとにかく録音しまくった。 何の番組か全く記憶にないが、AMから「そよ風のくちづけ」キャンディーズ、「薔薇の鎖」西城秀樹を録音した。 そよ風〜はソロパートがちょっとベタベタした歌いかただな・・。 薔薇〜は景気のいい曲だな・・。 くらいにしか思わなかった。 キャンディーズはこの曲のちょっとあとに年下〜でブレイクした。
そしてこれはたぶん知っている人はほとんどいない思うのだが、薔薇〜その時ラジオから流れたのはリリース前の別テイクだった。 リリースされたものはイントロがサックスだが、そのテイクはサックス無しのホーンセクション。 リリース後ラジオから流れた時は、ありゃ全然違うぞ!と思ったものだ。 その時のテープが残っていれば・・。よくレアトラック集めたアルバムってあるけれど、歌謡曲は無いのかね。
FM「夕べのひととき」は、ご飯食べながらイヤホン付けて録音していた。 夕べのひとときで、録音するつもりはなかったのに誤って録音したものが「ルイジアンナ」キャロルだ。 当時はキャロルという名前も知らなかった。 うわっ!なんだこれ! 衝撃だった。 暴力的な曲だなと感じた。 だけど今となっては、ラジオだけどリアルタイムにキャロル体験出来て良かったなと。 のちにキャロルは大好きなバンドのひとつになった。
虫の知らせ
今の職場では勤務中はスマホ、携帯を見ることが出来ない。 勤務中はロッカーに置いておくのだが、昨日は昼休みにスマホを見るとメッセンジャーにコメントが入っていた。 文芸部の後輩からのメッセージだった。 後輩と何回かやり取りしているうちに「虫の知らせ」という言葉に行き着いた。
昼休みが終わり事務室に戻ったおれは「虫の知らせ・・虫の知らせ・・」とひとり呟く。 さぞかし廻りの人達は不気味に感じたのではないか。
30年度振り返り
3月も半分過ぎました。 もう少しで平成31年度ですね。 なぜか30年度を振り返ってみたくなりました。
やはり30年度の一番大きな出来ごとは、義理の兄マルタツ師匠の大手術だったと思います。 毎日インターホン越しに見える師匠、今は元気そうです。何よりです。良かったです。
そう、師匠とはインターホン越しにはほぼ毎日会っていますが、会って話すことはほとんどありません。 たまに私のバンドのライブあと一緒に帰る道でいろいろ話します。 そんな関係が良いのだと思っています。 また大晦日に家(2階で)で会いましょう。 生きていてなんぼのもの。 師匠のおかけでよーく分かりました。
バンド関連では、Yバンドが軌道に乗ったし、もうやらないであろうと思っていたビートルズバンドのドラム参加。 ベースもドラムもたいした事は出来ないけれど、今のところバンドメンバーから重宝がられているので、期待に応えられるよう頑張りたいです。
SNSでは一度やめたFB。 また復活した際に友だち申請してくれた方達、嬉しかったです。 ひとりひとり名前をあげて書きたいところですが、きりがないのでやめておきます。
仕事は忙しくなるばかりだけど、総合すると良い1年だったのではないでしょうか。
なにもそこまで・・
文芸部には遠い国の埼玉から学びに来ているお寺の息子がいた。 おれは1年くっているので彼のほうが学年は上だがドンパだ。
生まれ育った環境がそうさせたのか、 彼は何かにつけて説教くさい話しをする。 当時のおれは彼の話しが大好きだった。
文芸部の先輩にあまり皆から好かれていない男がいたのだが、ある時彼がその先輩について「○○さんは毛虫のように嫌われている・・。」と発言した事があった。 なにもそこまで言わなくても・・。 彼らしくないとも思った。 毛虫に例えた発想が凄い。 だから忘れられない。
彼は毎年夏、お盆時期に北海道のお寺のお手伝いに来道し、その度文芸部の飲み会が開かれる。 ここ数年おれはその飲み会に参加していない。 話題がみんなと全く合わない・・。
違うんだ
今のビックカメラ、昔はSOGOだった。 山野楽器かどうか店名は定かではないが、楽器、レコードも売っていて更にはスタジオまであった。 ガラス張りのスタジオ。 今だったらそこでリハするのはとても恥ずかしいだろう。
以前琴工祭の記事でも登場したイワサワくんとサイトウくんに無理やり誘われレイジーをそのスタジオでやった事がある。 おれはドラムで参加。 ちょうどレイジーが「宇宙船地球号」をリリースした時期だ。 今でも覚えているのはA面1曲目ドリーマー。 カッコいい曲だ。
リハ前にLPを渡され聴き込んだけど、どういう風に叩いているのか、さっぱり分からなかった。 (今でもたぶん分からないと思う。) 案の定スタジオでは全く役にたたなかった。 二人もダメだこりゃあ!と思ったのだろう、それっきり声はかからなかった。
やはりバンドは好きな音楽で参加するのが一番だ。それは今でも変わらない。
リハの日は
おれが今参加している2つのバンドのリハは平日の夜に行われるのがほとんどだ。 したがって会社から直、もしくは一旦家に戻り車でスタジオに向かう。
会社からスタジオ直の時、ベースはスタジオレンタルのものを弾く。 幸いなことにドラム参加のバンドは、リハスタートが少し遅く、またスタジオが家から大変近いため無理をしてでも一旦家に戻ってから向かうことにしている。
先日はドラムでリハだったが、たまたまカディス。 残業して家に戻った時はギリギリだった。 疲れていてスネア、ペダル、スローンをケースに入れ車に積む気力もなかったので、スティックだけもち着替えもしないで車に乗り込みスタジオに向かった。 ドラムの場合、スティックだけでもなんとかなるので大変助かる。
リハの日はたいてい会社帰りに外食をする。 家に戻ってからバタバタしながら食べるのが嫌だからだ。 カミサンにも迷惑かけるしね。 外食しないで帰れば時間的に少しは余裕が出来るのだが・・。 いやいや、最近はリハの日の外食が楽しみになっているのでそれは無いであろう。
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