前途多難

昨日はビートレスのリハだった。
終始重苦しい雰囲気だったな〜。
12月モダンライブのセットリストがまだ決まらない・・。
全員一致で決まらない・・。
だけど終わりの20分くらいスタジオ内でいろいろ話した。
その20分は有意義だったな。
スタジオでダラダラ遊ぶのは時間の無駄!
時間の無駄なんて言葉はおれはめったに言わないのだけれど・・。

ツラの皮が厚く

残念な事だがおれはライブをノーミスで終えることはあまり無い。

だけどMCで「間違えました!」は言わないほうが良いかなと・・。
最近のライブでフロントがそれを言ったものだから後日「それは言わないほうが良いよ!」と忠告した。
おれも言った事があるかもしれないが・・。
最近おれはツラーっとしている事が多いかな。
その一言で、ただでさえ流れが悪いライブを完全に止めてしまうような気がするから。

話は変わって最近「平成最後の・・」の番組が多すぎだなと感じていたが、さすがにNHKまでそれをやられると「そうなんだな〜」という気持ちになってしまう。
国営放送にはかなわないという事だ。

昭和の日

昭和が終わった日おれは車で滝川に向かっていた。
滝川フードセンターに勤めている義理の兄の正月休みがやっと取れたからだ。
ホンダトゥディにカミサンと一歳になる直前のムスメを乗せて雪道を走った。
滝川で兄を拾いカミサンの実家に向かう。
少し遅れた正月の会席を行うために。
札幌へ向かう車の中「ヘイセイ、ヘイセイ」と兄は連呼していたな。

あれから31年、いろいろ変わってしまった・・。

昭和で言うと今年は昭和94年。
おれの親父も生きていたら94歳だ。
そんなことをいろいろ考えた昭和の日だった。

ローカルな話し

南円山公設小売市場を突然思い出した。
お菓子屋で遠足のおやつをよく買ったものだ。
おもちゃ屋には、いかりや長介さんのような女性店員が。
背も長介さんのように高かったな。

市場の近くにはモンドール。
モンドールの建物は昔拓銀だった事を知っている人は少ないと思う。

鈴木書店、小学生何年生シリーズを配達してくれた。
テレビマガジン増刊号(仮面ライダー特集号)毎日毎日「まだ入りませんか?」と聞きに通ったものだ。

村松商店、小学校と中学校が同じだった友達のお店。
佐々木商店、オヤジさんが芸人風でいつもお客を笑わせていた。
芝園湯からの帰り道、佐々木商店の自販機でミスターピブを買ったものだ。

円山モーター、自転車屋だと思ったが、空気入れをただで使わせてもらったものだ。
ここもオヤジさんがインパクトあったな。
何て言うんだろう・・、石のようなオヤジさん・・。としか表現出来ない。

昔は今のように夜遅くまで開いているお店はなかった。
時間も今より数倍はゆっくり流れていたはずだ。

昔は良かったと思う事もあるが、今も良いところはたくさんあると思う。
せっかくだから今を楽しむべきだ。
当たり前の事を書いてしまった。
当たり前の事を書く。
それが今のおれだ。

職場の話し

職場の朝ミーティングの出来事だ。
おれの席より離れているPCのディスクトップに矢沢永吉の壁紙が見えた。
普段会話しない違うグループの席だが、立ミーティングなものだから偶然それが見えたのだ。
おれより少し年上の男性社員のPCだった。

その日たまたまコピー機の前でその男性と会う。
今まで一度も話したことはなかったが「矢沢好きなんですか?壁紙に見えたから・・。」声をかけてみた。
「えつ!!」
男性はよほど嬉しかったのだと思う。
目を輝かしていろいろ語ってくれた。
職場で仕事以外趣味の話が出来る人がいると良いものだ。

そしておれの隣の席のお姉様は大のチューリップ好きだ。
おれもアップサイドダウン辺りまでは聴いていたので「この仕事は無限にあるんだよね・・。」のような言葉に「そうです!無限軌道なのです!たえちゃんです!」と応えると大いに受けてくれる。
何も捨てるものの無いおれは、職場でこんなことも楽しんでいる。

楽をするな

小学校4年からの担任。
音楽狂いでいろんな音楽大会におれら生徒を引っ張り回していた担任だ。
先生の口ぐせは「楽をするな!」
当時はあまりピンとこなかったが、今となっては十分過ぎるほど理解できる。
苦労は買ってでもしろ。という言葉もよく分かる。
ただそれだけの事だ。

虫の居所

またしても中学の頃の話だ。

ワダくんと廊下ですれ違う時おれはニコリと彼に微笑んだ。
「何笑ってるんだ!」
おれはいきなり胸ぐらを捕まれ廊下の壁に押し付けられた。
「えっ?・・ワダどうしたんだ?・・」
おれは言葉が出なかった。
ワダくんとは1年の時、一緒に遊んだ仲だったはずだ。

その場面を偶然目撃した技術科の先生。
おれとワダくんはさっそくその日の放課後呼び出された。
ワダくん「さっきはたまたま機嫌が悪かったんだ。ごめんな。」
先生の前での仲直りだった。

微笑みかける前、ワダくんの気持ちが分かってれば・・。
人の心の中までは分からないという事と、タイミングが悪いと思いがけない事に遭遇するということだ。

永遠ではない

おれは地下鉄で通勤しているが、家と地下鉄駅間のルートは行きと帰りで違う。

帰りに通る民家の庭先には大きな桜の木が生えていた。
花咲く時期には近くの街灯がちょうどうまい具合に桜をライトアップするようで、木の下で撮影している人をよく見かけたものだ。
ところが昨年雪降る前にそれは突然切られてしまった。
家を解体するのであろう。
住人も退去したようであった。

それからは帰りにその切り株を見る度悲しい気持ちになった。
いつしか目をそらすようにしてそこを通るようになっていた。

数日前よりその家の解体が始まった。土を掘り起こすのと同時に切り株まで掘り起こし、きれいさっぱり無くなってしまった。

今日の帰り道、おれが昔住んでいた家のすみには大きな白樺の木があった事を思い出したのだ。
その白樺,家の敷地内に生えていたわけではなかったようで、道路舗装工事の際に撤去されてしまう。
親父は「タクシーで帰ったとき、あの白樺の木の所で止めてください。と言えるからよい目印になるんだ。」とよく言っていたものだ。
親父は木が切られる前日、白樺の木に日本酒をかけていたな。
きっと最期のお別れのつもりだったのであろう。
花の命、木の命、命は永遠ではない。
当たり前の事だ。

最近、落ちのない話が多いかもしれない。
それで良いのだ。

投票に行こう

緑ヶ丘小学校,おれが通っていた小学校だ。
今日もつぶの散歩で校舎廻りを一周した。
散歩コースに入っているのだ。
校舎の西側はおれが通っていた当時のままのようだ。
中に入ってみたい。
小中学校の校舎に入れるのは選挙の投票日くらいだが、おれが住んでいる地域は啓明中学での投票に決まっているらしく緑ヶ丘に入ることはない。

小学校の体育館、昔の半円屋根を思い出す。
柔いボールを屋根に投げ、落ちてくるボールを受け取るという単純な遊びをよくやったものだ。
力加減を誤ると屋根の反対側にボールは落ちてしまう。

体育館ではたまに業者が来て体操着(上下白の服からその後ジャージへ)販売が行われていた。
おれはそこで売られていた三本線ジャージが着たかった。
クラスのほとんどがそれを着ていたからだ。
しかし親がどこからか二本線のジャージを買ってきてしまいそれはかなわなかったが。

そして現在。
休日勤務の日は私服でも良いことになっている。
今までは服選びに悩み、結局平日着ているスーツで向かう事が多かった。
悩むほど服を持っているという事ではなく、会社に着ていくような一般的なものがないからだ。
最近は悩む事なくライブで履く細い黒パンを履いて行っている。
開き直っているからだ。
良いことだと思う。

いつまでも気づくことなく

高校の時、現国の授業で短編小説を書く機会があった。
おれが書いたものは円山にある郵便局が強盗に襲撃されるような内容だったと思う。
原稿用紙に書き終えたところで各々の作品が生徒達にランダムに配られ、批評を原稿用紙余白に記入する事になった。

自分では面白いものが書けた。と内心高評価を期待していたのだが、手元に戻ってきた原稿用紙に書かれていた批評は「お前、よくこんなくだらないもの書くな。」という期待とは逆のものだった。
ふとそれを思い出した。

おれに配られた小説にはなんて批評したかは全く記憶にない。
もし今そういう場面に遭遇したら、つまらない小説にはなんて書くだろう?
きっと今なら良いところを探してそれを書くだろう。
それが良いのか悪いのかという事ではなく、おれならそう書くだろうということだ。
はっきり悪いところをズバッと書いたほうがその人の為だ!と考える人も少なくないはずだけれど・・。
これは性格なのかもしれない。

これを音楽にあてはめて考え先程まで何度も推敲したのだが、うまくまとまらない。
書かないほうが良いであろうという結論に至った。
いつまでも気づくことなく。それも良いのかもしれない。という事を書きたかったのだが・・。。